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フルバナ郡 (バージニア州) : ウィキペディア日本語版
フルバナ郡 (バージニア州)[ふるばなぐん]

フルバナ郡()は、アメリカ合衆国バージニア州の中央部、ピードモント台地に位置するである。2010年国勢調査での人口は25,691人であり、2000年の20,047人から28.2%増加した〔Quickfacts.census.gov - Fluvanna County - accessed 2011-12-06.〕。郡庁所在地国勢調査指定地域パルミラ(人口104人〔American FactFinder - Palmyra, Virginia - accessed 2011-12-06.〕)であり、同郡で人口最大の町はやはり国勢調査指定地域のレイクモンティチェロ(人口9,920人〔Quickfacts.census.gov - Lake Monticello, Virginia - accessed 2011-12-06.〕)である。
フルバナ郡はシャーロッツビル大都市圏に属している。
== 歴史 ==
フルバナ郡となった地域は、バージニア植民地当初の8シャイアの1つ、ヘンライコ・シャイアに属していた。1727年、ヘンライコが分割され、フルバナはグーチランド郡に属した。1744年グーチランド郡が分割され、フルバナはアルベマール郡に属した。1777年、アルベマール郡が分割され、現在のフルバナ郡ができた。

郡名は、ジェームズ川のコロンビアから西の部分であるフルバナ川から採られた。「フルバナ」とはイギリスアン女王に因み「アンの川」を意味している。フルバナ郡はピードモント台地の滝線より上に位置し、ジェームズ川とリバナ川が流れている。

ジェームズ川とリバナ川が合流するコロンビアに近く、ポイントオブフォークは、植民地以前の時代にモナカン族インディアンの主要な村があった場所である。18世紀後半、トーマス・ジェファーソンはリバナ川の上流に大きな所有地、すなわちシャドウェルとモンティチェロプランテーションがあったので、その航行性を改善した。1830年代までを第1期として、この改良には水門の開鑿と小さな堰堤および平底船の閘門があった。
第2期(1840年-1870年)には、大型の閘門を備えた長い運河の建設があり、その多くは現在でも見ることができる。当初のリバナ川改良工事が完成してから間もなく、州は一般用途に開放してくれるよう要請した。ジェファーソンは当初これを拒んだと伝えられているが、州が要求を通し、リバナ川が州中央部の交通網と一体になった。このルートはアルベマール郡とフルバナ郡全体の大型農業社会、プランテーションの用に供された。その沿岸にはユニオンミルズなど多くの工業施設が並ぶようになった。大型工場の建設で川の航行性改良も大きく進んだ。例えば、ユニオンミルズには2.5マイル (4 km) の運河と曳舟道があり、上流に1か所、下流に2か所の大型閘門があり、全てが川に直接繋がっていた。
リバナ川がコロンビアでジェームズ川と合流する所では、リバナ接続運河がさらに長い運河と合流していた。2つの運河を繋いだ一連の閘門はコロンビアの町の直ぐ外にあり、現在では大半が堆積物に埋まっている。1840年、ジェームズ川・カナー運河がジェームズ川北岸に隣接して建設され、交通のために公開された。この新運河は、ジェームズ川カナー川を介して、チェサピーク湾大西洋を繋ぐ計画だった運河の一部だった。オハイオ川を介してミシシッピ川からメキシコ湾も繋ぐ意図があった。この運河は貨物船に使われ、初期の底の浅い平底船に代わった。これらの船はリッチモンド市やその先まで、貨物と乗客を運んだ。若いときに測量士をしていたジョージ・ワシントンなど初期バージニア人の長い夢だった運河は、構想されていた通りに完成することはなかった。

平底船の時代、ミルトンが航行可能な上限だった。19世紀初期までに、岸から馬に曳かせた船が上流のシャーロッツビルまで進んだ。航行上限は、フレデリックスバーグ道路(現在の州道20号線)とリッチモンド市に向かう主要道スリーチョップト道路(アメリカ国道250号線)が交差する所であり、フリーブリッジで市内に入り、シャーロッツビル市が商業の中心になった。
アメリカ独立戦争の間、フルバナは民兵6個中隊で守られていた。1781年にイギリス軍の侵略を受け、ポイントオブフォーク武器庫が破壊された。南北戦争では、郡内で戦闘が起きなかったが、北軍兵が製粉場や橋を焼き、ジェームズ川・カナー運河に損傷を与えて、交通や商業を妨害した。戦中に郡民1,200人以上が南軍に従軍した。歩兵隊、騎兵隊、砲兵隊に編成された。
戦後運河は修復されたが、州全体に鉄道が建設され、効率が良かったので、運河の交通量は戦前の水準まで戻らなかった。拡張を続ける鉄道網との競合に努めた挙げ句、ジェームズ川・カナー運河は1880年3月4日付けの権利譲渡証書で新しい鉄道会社に譲渡された。曳舟道にはすぐに鉄道の建設が始まった。新しいリッチモンド・アンド・アリゲイニー鉄道は、ウェストバージニア州のジャクソンズリバー・ステーション(現在のクリフトンフォージ)の東、アパラチア山脈からブルーリッジ山脈をバルコニーフォールズで越え、リッチモンドまで水面に近いルートを走った。1888年この鉄道は賃貸され、その後コリス・P・ハンティントンのチェサピーク・アンド・オハイオ鉄道に買収された。
20世紀初期、チェサピーク・アンド・オハイオ鉄道は、ストラスモアのジェームズ川線とゴードンズビルのバージニア・セントラル鉄道ピードモント区間との間に新線を建設した。このバージニア・エラ・ライン鉄道は、シャーロッツビルとウェインズボロの間にあるブルーリッジ山脈トンネルを通せない高さや幅の貨物を運ぶために建設された。さらに、ウェストバージニア州から東のワシントンD.C.や北バージニアに運ばれていた石炭列車が、山岳部の急傾斜を避けるために、この新線を通るようになった。1909年9月29日、バージニア・エラ・ライン鉄道が開通した。パルミラに新しい貨物駅が造られた。その後鉄道による貨物輸送が衰退したので、この線路は1975年に廃止された

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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